無真獣の巣穴

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惑う者 -真実のレリアナはどこに在るのか- 【Dragon Age 人物考察 レリアナ】

Dragon Age: Origins、Inquisitionの登場人物に関連するネタバレがあります。
※個人的な見解です。また、プレイ状況や選択肢によってキャラクターの反応は変化します。すべての場面や台詞を確認しているわけではなく、自分が確認できたもののみを参考にしています。




修道女ナイチンゲール教皇の左手、スパイマスターなど、多くの名前が表す通り、レリアナという人物は実に多面的で複雑だ。
シリーズ通してクラスはローグだが、弓使いであったり、二刀流であったり、その時々によって戦い方も変化する。
また、DA:O、DA:Iにおいて、主人公の行動次第で性格や考え方が変化することも、他の登場人物には見られない大きな特徴の一つである。

第5次ブライト時代

DA:Oで最初にレリアナが登場したとき、彼女は敬虔な修道女だった。初期装備に弓はないが、弓の技をいくつか習得しており、弓使いとして見るのが妥当だろう。

彼女は幻視を見たと言い、創造主の存在を感じ、自分の使命を悟ったのだと言う。他の仲間たちは大抵何か事情を抱えており、主人公がそれに協力する形で行動を共にするのがきっかけになるが、レリアナの場合はかなり唐突な加入という印象を受ける。率直に言って、奇妙である。
フェレルデンの救世主と共に行動していたこの時期の彼女は、夢見がちでやや浮いた存在である。また、慈悲深いと言うには少々安易な一面を持っている。

一方で、危機的な状況にあったロザリングを離れたことについては、目の前のことよりもっと大きなことを見据えなければならないという、現実的な意見を持っている。裏切り者の疑いをかけられていたグレイ・ウォーデンについて行こうとしたのも、この状況を打開できる存在はウォーデンしかいないという、冷静な判断の上だと思われる。このように、一見ふわふわした印象ではあるが、単に夢見がちなだけではない一面が見え隠れしている。


好感度を高めて親しくなっていくと話してくれるが、彼女は教会の修道女となるより以前にオーレイの吟遊詩人…それもバード、つまりスパイとして活動していたのである。DA:OのDLC「レリアナの歌」でその頃のレリアナを見ることができる。当時の彼女は活発そうなところもありながら、しかしどこか頼りなく、弱々しい印象だ。未熟で、まだ幼さの残るスパイ見習い、といったところだろうか。
DA:O時点で既に修道女らしからぬ一面を見せるのは、この頃の "仕事" の影響である。そして師であり恋人でもあったのがマジョレーンだが、この人物がレリアナに良くも悪くも大きな影響を与えたのは間違いない。

さらに関係を進めていくと分かるのが、相反する自分の気持ちへの苦悩である。戦いや殺しなどのスリルを楽しむ心と、信仰の元で人々を救いたい心、それに戸惑っている。このあたりが、レリアナという人物の "不安定さ" の根元と言えるだろう。

教皇の左手

DA2では教皇ジャスティニア5世の元で活動するレリアナを見ることができる。この頃の彼女は、弓ではなく二刀流のローグである(ちなみにオーレイの吟遊詩人時代も二刀流)。DA:Oの頃と比較すると、甘さや浮いたような雰囲気が消え、地に足のついた印象に変わっている。

DA2での出番は少なく、分かることも多くないが、この時期はかなり精神的に安定しているように見える。レリアナは全体を通して誰かの影響を受けやすい傾向にあり、教皇という大きな存在の元で行動していたためだと思われる。この頃の教皇ジャスティニア5世は、彼女が修道女となるきっかけを作った命の恩人でもあった。

しかし、この教皇の左手としての活動がレリアナの使命感をさらに高め、必要とあらば残酷な行為もいとわない、冷酷な現実主義へと歩ませることになる。

審問会のスパイマスター

第5次ブライトが終わってから10年ほど経ち、教皇の右手であったカサンドラ・ペンタガーストらと共に審問会を設立した頃、レリアナは冷酷無比なスパイマスターだった。DA:Iではかつてのような柔らかい雰囲気は完全に消え、周りの者からも恐れられる存在となっている。

武器は二刀流から弓に戻っている。また、己の非情さを隠さなくなっている。むしろ恐怖の対象として見られることを利用しているようでもある。これは自分自身が隠密活動を行うのではなく、配下の密偵を使うようになったことに関係するだろう。DA:Oで色濃く残っていた、バードとしてのやり方を捨てたとも言える。フェレルデンの救世主に多くの物語を語ってくれたような語り部としての一面も影を潜め、吟遊詩人としての自分を封印したのかもしれない。
かつて甘過ぎるほどだった慈悲深さは冷酷さに変わり、DA:Oのレリアナが表であるとすれば、DA:Iは裏といったところだろうか。


レリアナの個人クエストを進めていくと、この非情なスパイマスターとしての自身のあり方に迷いや苦悩を抱いているのが見えてくる。冷酷な人間に変貌したわけではなく、不安定な心の根元はそのままであり、この極端なあり方はDA:Oでの慈悲深さと表裏一体であることが分かる。

彼女は求められている役割に敏感であり、それに従って必要な人物を演じる側面があるのではないだろうか(ゲームのプレイヤーがやるように、彼女もまたロールプレイヤーなのではないか)。そしてかつてのように、主人公の影響を受ければ、レリアナも変化していくのである。

揺れるアイデンティティ

良くも悪くも、人は誰でも変わっていく。環境が大きく変われば、人のあり方も大きく変わらざるを得ないだろう。しかし、レリアナの変化は…極端に過ぎるところがある。彼女の極端な変化は、現状への適応であることは確かだが、果たして精神的な成長や成熟の結果、なのだろうか。


レリアナのアイデンティティを語る上で外せないのが、かつて師であり恋人であった、マジョレーンの存在だろう。マジョレーンはおそらくまだ10代だったレリアナを魅了し、危険と刺激に満ちた吟遊詩人(バード)の世界に引き込んでいった。
マジョレーンがレリアナに対して具体的にどのような気持ちを抱き、何をしたかったのかは実はよく分からなかったのだが、DA:O本編やDLCでの様子から、レリアナを操作したい、手の内で転がしたいといったように見える。

彼女はレリアナを自分と同じだと言い、何故か自分への復讐に仕向けようとする。レリアナが本心では復讐や殺戮を求めていると確信しているのかもしれないし、精神的不安定さを利用して惑わそうとしているのかもしれない。それにしても、マジョレーンの行動には不可解なところが多い。DLC「レリアナの歌」においても、レリアナを寵愛する一方で利用し、自分の身に危険が及べば容赦なく裏切り、切り捨てている。


話によれば、マジョレーンもかつてはこのような人物ではなかったのだと言う。もちろん、本性を隠していただけかもしれないし、何かのきっかけで変貌したのかもしれない。ともかくマジョレーンはレリアナの心に揺さぶりをかけ、心の中の相反する自分自身という概念を焼きつけ、あなたはきっと私のようになるという呪いをかけた。

マジョレーンとの問題はDA:Oで一応解決させることはできるのだが、彼女を殺すにせよ殺さないにせよ、それで呪いが解けたと言えるだろうか。DA:Iでのレリアナは、この呪いから抜け出した姿なのだろうか。

偏見と独善

DA:Oでのレリアナは(少々おかしなところはあるものの)一見分け隔てなく、慈悲深い善良な修道女に見える。しかし、よくよく見てみると、彼女の慈悲深さにはどこか表面的なところがある。


最も印象的なのは、エルフの主人公に対する言動である。レリアナは異民族地区出身のシティエルフの主人公に対して、何の悪気もなくこう投げかける。

「フェレルデンの異民族地区は汚いんでしょう?」

そして、オーレイでエルフが召使として重宝されていること、見た目が評価されていること、人間より裕福な暮らしをするエルフがいることなどを語り始める。正直これには驚いた。慈悲深く善良に見えたレリアナが、あまりにもあからさまにエルフを見下しているからだ。しかも当事者を目の前にして堂々と、である。

彼女は悪意を持って言っているわけではない(むしろ悪意を持っていた方がまだましとさえ思える)。おそらく、善意を持ってこのように言うのだ。フェレルデンでは地位が低いが、オーレイではエルフが評価されている、と。
人間がどう評価しようが、エルフたちの職業や住む場所、信仰に制限があることは変わりない。もちろん人間にも階級があり、皆に自由があるわけではないのだが、それ以前にエルフは種族という属性で制限を受けている。また、いかに裕福であろうが、地位を持とうが、人間に仕えるものであり、常に人間に評価される立場である。そのような種族的な差別の残酷さを、レリアナは認識していないのである(のちに謝罪がある)。


彼女が特別差別的だというわけではない。世間一般的な価値観を持っているだけのことである。しかし、たとえ誰かを救いたいという優しさがあったとしても、相手の立場を考えているわけではないことがうかがえる。創造主を信仰しないデイリッシュに対し、創造主の加護のおかげで助かったと表現するなど、つまりあくまで彼女の視点…というより(彼女が考える)創造主の視点での慈悲、なのである。

DA:Iの冷酷なレリアナも、展開によっては「すべての人を受け入れたい」という分け隔てない慈悲の一面を見せるが、極端ゆえに表面的な印象が拭えない。そしてやはり、彼女が重視するのは、多様な人々の間で折り合いをつけることではなく "主の導き" なのである。


結局どのようなスタンスにおいても、人々の為にありたいという意志とは裏腹に、多様な人々の声に耳を傾ける姿勢は見られない(少なくとも自分が確認した範囲では)。抽象的な創造主の声と、自分を気にかけてくれる特別な誰かの声以外は。
レリアナというキャラクターは "独善" という業を背負っている。そう思えてくるのである。

真実のレリアナはどこに在るのか

レリアナにはたくさんの顔がある。一体何が本当のレリアナなのだろうか。
物語が好き。お洒落が好き。靴が好き。ナグが好き。刺激が欲しい。静寂が欲しい。人々に尽くすべき。非情にあるべき。創造主の導きに従いたい。特別でありたい。理想主義、現実主義、社交的、孤独、慈悲深さ、冷酷さ、レリアナは多くの矛盾に満ちている。

前述の通り、彼女は特別な誰かの影響を受けやすい傾向がある。それはマジョレーンであり、ジャスティニア5世(ドロセア)であり、フェレルデンの救世主であり、審問官でもあった。誰かが支えていなければ不安定であるとも言えるだろう。使命の為に自らを犠牲にする意志の強さを持ちながら、揺さぶれば脆く崩れてしまいそうな弱さがある。


マジョレーンに魅了され、愛され、裏切られたレリアナはドロセアに出会い、創造主への信仰を拠りどころにした。しかし教会に救いを見出した一方で、彼女は教会に馴染みきれなかったようである。

ガントレットのガーディアンが見抜いた通り、レリアナには特別でありたいという欲求があったようだ。思うに、これが重要なポイントなのではないか。マジョレーンとバードの世界に魅了されたのも、創造主への信仰の世界に身を捧げたのも、意識的にせよ無意識的にせよ、特別な何か、物語性を求めた結果なのではないだろうか。そしてそれが表面的な行動、独善的行動に繋がっているのではないか。


人間は多面的なものである。それは当たり前のことである。誰しも少なからず自分の中に矛盾を抱えている。しかし彼女が模索していたのは、物語の登場人物のような "特別な" あり方だったのではないか。それ自体は不思議なことではないが、自分の中の矛盾を受け入れる成長の機会を奪ったのが、マジョレーンだったのではないだろうか。

マジョレーンから逃れ、信仰を自身の核としたレリアナは、自分自身の矛盾を受け入れない潔癖さによって、求められた役割を完璧に演じようとする。それがあの極端な変化である。そう解釈すると、レリアナは大きく変化したようで、実際にはあまり変化していない。"主の導き" を求め、完璧に使命を全うしようとする。物語のように。


相反するどんな側面も、良くも悪くもレリアナの一側面に過ぎない。しかし、当の本人はそれを受け入れてはいない。
審問会のスパイマスターであるレリアナは注意深く人々を見るが、自らの使命という視点から外れることはなく、多様で複雑な外界を受け入れてはいない。
彼女はいまだ不安定なまま、複雑な自分自身も受け入れないまま、内側の世界にとどまっている。

この先、レリアナに本当の変化は訪れるのだろうか?
















精神的に安定したレリアナというのも、ちょっと寂しいが(勝手だ)。


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