無真獣の巣穴

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映画「聲の形」観に行ってきたので感想など【ネタバレあり】

言いたいことがありすぎて書くのが遅れてしまいましたが、公開初日に行ってきました、映画「聲の形」。原作の漫画は本当に凄い漫画で、かなり衝撃を受けましたし、週間少年マガジンでの連載を読んで毎週毎週悶絶したのもよい思い出です。これを映画化するとなったら、観に行かないわけにはいかない…!

 

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▲映画館に行くと貰える冊子の中身は、大今良時描き下ろしの聲の形番外編。ひたすらケーキを食べたり色んな表情をしたりするレアな西宮母が見られます。

 

久しぶりの映画館でしかも初めての場所だったためか、あるいは期待しすぎたためか、当日は盛大に腹を壊してしまいましたが、なんとか上映時間までに体調を整え、映画を観ることができました。

 

原作の漫画は全7巻あり、かなり濃密な内容なので、2時間におさめることができるのだろうか?と思っていましたが、色々と細かい部分をカットしたり変更したりしつつ主人公・石田将也に焦点を絞って、小学生時代から文化祭までがきれいにまとめられていたと思います。(文化祭までです。成人式はないです)

なんだか駆け足な印象はありましたが、まあ仕方ないとは思います。原作漫画を読み込んだせいもあるかもしれません。ここの展開が違う、ここの台詞が変わっている、ここがカットされている…と、どうしても比較しながら見てますからね。原作を読まずに映画を見ると違って見えるかもしれません。

 

映像も音楽も美しく結絃はかわいいし、一見感動的な物語…ではあるのですが、原作に多く見られた将也のモノローグや、説明的な台詞が少なくなっていて、意図的に言葉を省いているように思えました。それによってちょっと分かりにくくなっているのではないかと。言葉ではない演出で語る、それもまたひとつの「こえのかたち」かもしれませんが、それをやるにはこの作品は複雑過ぎると思うのです。

作品の始めの方で、小学生時代の将也・島田・広瀬の三人組が遊んでいる描写は凄くよかったですけどね。デラックス事件などカットされていますが、彼らのかなりやんちゃな様子があの短い映像によく表れていたと思います。

まあ、これもまた自分が原作と比較し過ぎているところはあるでしょう。原作の漫画には思い入れがありますし、ああこの台詞からこの展開を迎える流れがきれいだったのにとか、これではこの場面のこの側面が伝わらないとか、どうしても考えてしまうので。

 

 

さて、この作品について、批判も出ているようです。「感動ポルノ」ではないかと言う人さえいます。感動ポルノというのは、主に障害を持った者を描く場合において、本人の意思を無視して美化したり、理想的な障害者像を作り上げて過剰に感動を誘うような描写のこと…ですよね。

正直、映画だけ観ると、そうではないと言えないなあと思うのです。自分は。将也の物語としては、きれいにまとまっていると思います。モノローグはもっと欲しかったですけどね。しかし、聴覚に障害を持つ西宮硝子については、ただかわいくて健気な少女になってしまっている気がします。

小学生時代における取っ組み合いや終盤の台詞などには、「おとなしくて従順な障害者」というだけではない描写があるにはあるのですが、ちょっと、弱い。小学生時代の将也とのケンカの場面はとてもよかったとは思います。

 

個人的に許容できなかったのは、将也の母親に謝り続ける硝子の姿ですね。原作にはない場面ですが、確かに、硝子ならああいう行動をとってもおかしくはない。自分のせいで…と思ってるでしょうから。でも、殴られ続けた上、ひざまずいてひたすら謝り続ける姿を印象的に映し出すのは…まあ、はっきり言って不快でした。

原作においては、かつて硝子の声を聞きその意思を尊重してくれたはずの将也の母が、あの場面(場所違いますが)では硝子と向き合うことができずに去ってしまい、一方で「他人様」だった真柴が硝子のノートを拾ってその意思を尊重する…というのが印象的だったのですが。

 

言葉を削り、将也に焦点を絞り、かわいく健気な障害者である硝子がいじめ加害者だった将也に恋をする… 感動ポルノと言われれば、そうかもしれないと思います。そんな簡単に割り切れる物語ではないんですけどね。そう批判されても仕方がないなと思える危うさはありました。美しい作品になっているからこそ、危うい。

原作の漫画にしても、そもそも空から美少女が降ってきて脈絡もなく主人公に好意を寄せる並に都合のいい話ではあります。いじめ加害者がどう変わろうと、被害者に謝りに行って許され、しかも恋愛関係に発展するというのはそうそうありえないでしょう。そこはまあ、週間少年マガジン的にそういう筋書きなのかな、と思っていました。

 

ただ原作を読んでいると、脈絡もなく硝子が将也を許しているわけではないと思うのです。硝子は硝子で、自分のせいで将也がいじめにあったというのが負い目になっていたと考えられます。もちろん客観的には硝子のせいではないし、逃げても怒ってもいいはずなのですが、主観としてはそうだった、ということだと思います。

 硝子がいつも怒ることなく笑い、当たり障りのない返事をするのも、あの環境でそれが一番合理的であったからに過ぎないのです。作中で本人がそう書いていますね。また、皆と同じにならなければ、普通にならなければというのは、硝子の母親がそう強く望み、本人がそうでなければならないと思うようにしていたからでもあります。うまくいかないのは自分のせい、と思わせてしまった。要するに、硝子は「理想的な障害者像」になるしかなかったわけです。

実際には結絃にきつい言葉を放ったり、子供の頃には取っ組み合いのケンカをしていたり、やりたいことも夢もあって、結構活発な性格の少女だと思います。彼女の母親はどんくさい子だと思っていたようですが、障害によって、いつも情報が遅れてしまうのです。こういったことに、身近な家族でさえ気づいていない。とても残酷で重要な描写がたくさんあると思っています。硝子が将也や植野に好意的に接するのも、ある意味でとても残酷なことです。周囲が色んなことを強いている。漫画にしろ映画にしろ、この残酷さをもっと強調してほしいところです。特に映画では色々と削られてますので、余計に危うい。

 

まあこういうこと以前に、障害を持ったいじめ被害者が加害者と恋をするというような発想、筋書きそのものが批判されるのは理解できます。硝子がヒロインとしてかわいく描かれているのが気に入らないのも分かりますし。しかしそういった筋書きだからこそ、ここまで受け入れられたのかなとも思うのです。

個人的には、恋愛関係でなくてもよかったと思うし、恋がうまくいかなくてもいいと思って連載を読んでいたし、顔だって全然かわいくなくても十分成立する話であったように思います。1人くらい、加害者を永遠に許さない人物がいてもよかったですし。そういう意味では、都合がいいし、甘いなあと思います。いや、全然甘い話ではないですけどね。

「聲の形」は重いテーマを扱いながら、恋愛青春エンターテイメントとしてよくできています。だからこそ自分もここまで思い入れがあるのですが、エンターテイメントとして楽しめるからこそ危うい。ここ最近の批判を読んでいて、そういう側面は確実にあると思いました。

 

字幕上映が1週間遅れて始まるのは残念としか言いようがないです。いつもいつも、物事を知るのが遅れてしまう。そう西宮硝子が語っているのに、結局映画は字幕版が遅れるという。作中で描かれる残酷な事実をそのまま体現していますね。色々と事情があるのかもしれませんが、邦画の字幕に弱腰すぎます。この作品ぐらいは強気にやってほしかったです。せめて、期間限定ではなくて、ずっとやってほしいです。自分も観に行きたいですし。

 

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▲作中に出てくる猫ポーチ売っていたので買ってしまいました。手触りがよいです。中に植野からのラブレターは入っていませんでした(というかその展開ないです、映画では…)。

 

 

ところで結絃の魅力がしっかりと描かれていて、そこは本当に満足しています。なんか、無駄に女の子らしく描かれてたら嫌だなあと思っていたのですよ。結絃が男の子のようにふるまうのにも理由はありますが(正直理由がなくたっていいのにとは思いますが)、それはそれとして、結絃が結絃らしく描かれていて、とてもよかったです。「どうでいどうでい」もあります。

バトル描写が減っていたのは少し残念だった(植野のあれは、あんまり詳細に描かれてもあれですが)…というか、全体的にちょっときれいになりすぎている感がありましたね。もっとグダグダで醜悪でもよかった。それと真柴の存在感がかなり薄くなっていて、気の毒ですね…!個人エピソードカットされてますから、仕方ないのですが。真柴くんの見せ場ないですねえ…。

それと、どうしてこの台詞削ったんだろう?というのも結構ありました。将也が硝子の声を「それでいいから」と言うのとか、植野に対して佐原が「人の気持ちを無視し過ぎる」というのは欲しかったなあとか。うーん原作気にしすぎですかね。映画から観たら気にならないだろうと思います。

あとは硝子の自立、将也の庇護欲からの脱却まで描けていればなあ…と。文化祭までなので入りきらなかったのでしょうけど。エンドロールの背景でいいので、別の道を歩み始める将也と硝子が見たかったですね。まあ行き着く先は同じ場所かもしれませんが。

 

 

納得できないところも多いですが、作品としては、非常にきれいですよ。岐阜の風景もきれいです。ここまでネタバレ(ネタバレを避けるような物語でもない気がしますが)しておきながら言うのもあれですが、原作読まずに映画を観てみるのもいいと思います。というか原作読まないで観て、そのあとに原作読んで欲しいかな。

色々考えるところはありますが、それを含めて、自分にとっては非常に重要な作品ですし、とても好きな作品ですね。

 

 

 

 

 

 

 

ところで、環境問題からみた聲の形…っていう切り込み方もアリだなあと思うんですよね。川に放流されている鯉、そして餌として川にパン投げまくる主人公たち。かなり突っ込みどころがあるような気がしますけど、野暮かな。原作漫画では川にヌートリアがいたりしますね。必要とされるのが嬉しいから川の鯉に餌をやるっていうのも、結構鋭くて、なんだか大きな問題が描かれているような気がします。…意図してないと思うけど!