Dragon Age Inquisition プレイ記録(11) 絵を描いてました。
突然絵が描きたい気分になり、我が審問官アトリアさんの絵でも描くか、と思ってタブレットで描き始めたのだが、重い。重すぎる…
Infinite Painterというアプリの使い心地がとてもよく、これぞ自分が追い求めていたもの!!というくらい気に入っているため、どうしてもこのアプリで絵が描きたかったのだが、5〜6年前に買ったAndroid5.0のタブレットと数百円のスタイラスペンでは反応が遅すぎて絵を描くのがなかなか困難だった。特に人物はちょっとした違いで印象が大きく変わってしまうので、この反応の遅さはかなり厳しい。というわけで、買ってしまった。iPad AirとApple Pencil。
iPadとApple Pencilといえば、自分にとっては伝説の武器みたいなものである。Android5はサポート終了しているアプリも多いため、どのみち新しいタブレットを買わなければならず、どうせならiPadがほしい…と考えてはいた。最近発売された無印iPadを検討したが在庫がなく、メンタルが落ちてやけくそになっていたときに衝動的にiPad Air4とApple Pencil第2世代を買ってしまった*1。自傷みたいなものだが、ここでiPad Proの一番高いやつとかを買わないあたり、ちゃんと致命傷を避けてはいる。
まあやけくそで買ったとはいえ、無真獣はついに伝説の武器を手に入れたのだ。存分に活用することにしよう。
↑腰のあたりにナイフや巻物っぽいのが差してあっていい感じ。よくわからないので適当に想像で描いた。肩まわりはゲーム画面を見る限りチェインっぽかったのでチェインをちまちま描いてみた。
と言ってもほとんどは古い方のタブレットで地道に描いた。iPadでやったのは髪の毛を少し描き足すことと剣の塗り、あと仕上げ作業くらいだ。それでも同じ作業を古いタブレットでやったら10倍くらい時間がかかっただろう。特に髪の毛の柔らかい線は反応が遅いとぎこちなくなってしまう。
本当にApple Pencilはすごくて、自然な線が描ける。筆圧感知はもちろん、傾けると鉛筆を傾けているときのように広範囲を塗れる。Apple Pencilだけの機能でもないだろうが、今までペン先がゴムの安価なものを使っていたため初めて使ったときは「えー!?」と声が出る程度に驚いた。
iPadとApple Pencilもすごいが、このInfinite Painterというアプリもすごくて、UIのシンプルさと分かりやすさが本当に絶妙だ。何の説明もないアイコンがずらりと並んでいるタイプのアプリはアイコンの意味を覚えられないのでつらい。描いているときの画面の情報量は最小限にしてほしいが、説明はほしい。このアプリはそのバランスがいい。描いているときの画面に表示されるアイコンは最小限で、編集したいときはタップすれば説明付きのアイコンの一覧が出てくる。ブラシの種類もとにかく気に入っている。ブラシの挙動には慣れが必要だが、アナログっぽさがあってすごくいい。もちろんブラシの詳細なカスタマイズもできる。
↑全体像。精霊の剣を持ってる審問官の図。本当は右手にティダリオンの剣を持たせたかったのだが、なんだか面倒になってやめた。ティダリオンの剣は刀身が炎なので、この角度で描くとよくわからなくなりそうだ。精霊の剣は攻撃中にしか現れないのでゲーム中でスクショを撮ってもうまく撮れず形がよくわからなかったのだが、どうも処刑用の剣の形っぽい。というわけでそのように描いた。とどめ用のアビリティだし、「審問官」なので、ジャッジメントな感じだろうか。ちょっと怖い。
なんか長々描いてしまった。とにかくiPad買ってよかった。本当に金は無くなったが。たぶん寿命も減った*2。
もう全然ゲームのプレイ記録じゃないし、そもそもずっと絵を描いたり古いタブレットが重すぎて悶絶したりiPad検討したり悩んだりメンタルがクラッシュしたりいざ買ったら買ったで金銭的ダメージに苦しんだりiPad使って絵を仕上げたりしていたため、2週間以上ゲームしていないのだった。描き終わったのでこれからまたDragon Age Inquisitionの続きをやっていきたい。iPadをいじりつつ。
SUZURIにグッズあります!Tシャツの他トートバッグや文具やステッカーもあります!買ってくれると無真獣の寿命が延びます。
Dragon Age Inquisition プレイ記録・番外編
※ゲームのプレイに関連するのでプレイ記録のタイトルにしましたが、今回はちょっとそこから外れた話です。
※この記事にはDragon Age Inquisition、Originsのキャラクターについてのネタバレが含まれます。
Dragon Age Inquisitionのロマンスについて書いてきたが、実はこの恋愛というものの描き方について、だいぶ前から思っていることがある。
この作品に限ったことではなく、ゲーム以外の大抵の作品にも言えることなのだが、恋愛関係を深い人間関係の頂点に置きすぎなのではないか、ということだ。また、恋愛感情が「人間らしさ」の表現として描かれていることがかなり多い。とにかく崇高で美しく人間らしい深いつながりをもった1対1の関係、それが恋愛関係だ、というメッセージが世界中にあふれているように感じる。
自分自身は恋愛感情というものをこれまでの人生で抱いたことがない。また性的指向もよくわからない。少なくともゲームプレイ上での指向はある程度存在するのだが、現実に生身の人間に対して指向が存在するかがわからない。
人生のパートナーと恋愛指向と性的指向がつながっている必要はあるのだろうか?恋愛や性的関係を持つ相手が常に1人でなければいけない理由はあるのだろうか?特定の誰かと精神的に深くつながりを持った関係は恋愛関係でなければならないのだろうか?疑問は尽きない。
自分にとって、恋愛が「もっとも深い人間関係」「幸せの象徴」であるかのような描写や、恋愛感情を抱くことが「人間らしさ」の表れとして描かれることは、あまり心地のよいことではない。そうした表現が悪いというわけではなく、自分自身それを楽しむことがまったくないわけではないのだが、そうでないものが少なすぎるといつも思っている。恋愛ではない深いつながりもあるだろうし、恋愛をしなくても十分に幸せになれるはずだし、恋愛は人間らしさの象徴でも至高の人間関係でもないはずだ。
Inquisitionにコールというキャラクターがいる。コールは人間の形をとった精霊…といったところだろうか。コールの個人クエストでは精霊として安定させるか、より人間に近い存在として安定させるかを選択することになる。どちらかが正解というわけではない。コールは基本的にロマンスできないキャラクターだが、人間に近づけさせる選択をした場合、DLCで恋人ができている様子を見ることができる。人間として安定し、幸せそうな、ちょっとした描写ではある。しかし自分としては、また「人間らしさ」のために恋愛を使われてしまったか…!という思いが少なからずあった。
恋愛とはまた別の話だが、Originsにはシェイルというゴーレムのキャラクターがいる。シェイルはゴーレムゆえに自身の性別をあまり意識していないように思える。後のクエストでゴーレムになる以前のことが判明するのだが、そこで性別について問うと「それを言う必要があるとは思わなかった。お前だって自分の性別を私に言っていない」という一言がもらえる。この発言は「性別は自明のものである」ということに疑問を投げかけるいい台詞だと自分は感じていて、すごく好きなのだが、ここでもやはり現在「ゴーレム」であって「人間ではない」からこそ、な感じがするのは否めない。
今回のプレイ記録でロマンスについて書いたアイアン・ブルも「愛のために性行為をしない」「ごくまれにしか個人と深い関係にはならない」キャラクターだが、そういうセクシャリティを持っているというよりは、やはりクナリという「異文化」によるところが大きい。
ついでに言うと性行為がシステム化されている描写も、異文化と、暴力や支配を模した関係であったことによるのだと思うが、正直意識されないだけですべての性的関係に暴力性が存在していると思うので、どんな関係にもルールや話し合いが必要なのではないかと思う。ただそれをゲームの恋愛関係で明確に描いているのはかなり珍しい気がする*1。
こうした表現に共通するのは、イレギュラーなものを「我々とはどこか違う特殊な存在」として描いていることだ。そして「我々に近い存在」になると恋愛を描いてしまう*2。前述の通り、こうした描き方はこの作品に限った話ではなく、あらゆる創作物でこの傾向は見られる。
もちろん、人間とは違った存在のあり方や異種族の文化が描かれているのは面白いし、自分も好きだ。しかしAロマンティックAセクシャル*3もロマンティックAセクシャル*4もAロマンティックセクシャル*5も、ノンバイナリー*6も、現実に常に我々の中にいるはずなのだ。そしてもちろん、人間だ。それがたまに物語の中で描かれるとき、なぜかいつも人間ではなかったり特殊な育ちや文化によるものだったり、あるいは悲しい過去やトラウマによるものと理由づけられてしまいがちになる。実際多くの人がそのような存在が自分のすぐ隣にいるとは考えていないからこそ「こちら側」の身近な存在として描いてくれる物語がもっとあっていいはずだと思う。
Dragon Age Inquisitionにおいては同性愛者やトランスジェンダー男性が身近な存在として描かれていた。ただドリアンもクレムもテヴィンターという「あちら側」から来た人物であるところに引っかかりを覚えないわけでもなかった。もちろんセダスの大半の地域ではそれらがそこまで問題視されておらず、テヴィンターだからこそ彼らは生きづらいのだが、それもまた生きづらさの問題を「あちら側」の問題に終始させてしまう危うさをちょっと感じないでもない。Inquisitionでテヴィンターがただの悪の帝国でないことに焦点が当てられた点は本当によかったと思う*7。自分たちの社会の同種の問題は棚上げし、「悪」としている異文化社会の問題としてだけ取り上げるということが現実には非常に多いため、物語においてもそうした描き方はやはり危うさがあると思う。
とりあえず本当に描き方には前進を感じているし、前も書いたが、多様な存在を描くことについて、次はさらにもう一歩進んでくれているといいなと思う。文化や種族の設定にあまり頼ることなく明確にAセクシャルやAロマンティックなキャラクターを描いてほしいし、恋愛ではない「特別」なルートがあってもいいと思う。合意に基づいたポリアモリーな関係も実現できればロールプレイの精度が上がる。それにノンバイナリーなキャラクターもお願いしたい。中の人はノンバイナリーでもあるのだ。はっきり言って自分に似ていると思える人物を物語で見る機会が少なすぎる。
ちなみにトランス男性のクレムにはいろいろ質問することが可能だが、審問官側の選択肢がミスジェンダリング*8だらけで申し訳なく、ほとんど何も聞かずに終わった。前回のプレイの記憶によればクレムは親切にあれこれ教えてくれるが、もう少しましな選択肢が欲しかったし、失礼な質問をしたら怒られることも必要な気がする。ちょっと気分を害したような受け答えがあった気もするが。
ドリアンは親子関係が改善する方向で進めていたのだが、途中で思い直した。「自分の子供の性的指向をむりやり矯正しようとした親と、和解する必要が果たしてあるのか?」と。父親は自分の行為について考え直していた様子ではあったのだが、いくら反省し、どう頑張ったとしても、修復できない関係はあるのだ。どれだけ恐ろしい行為だったか、親は知るべきだろう。親子関係がよくなる方が物語としては美しいかもしれないが、普通に考えたら親の言い分も聞くべきだなどとはとても言えない。というわけで今回は親子関係は壊れたままだ。そんな物語があったっていいだろう。
まあ、いろいろ書いたが、それはそれとして様々な地域の考え方や文化、人間以外の種族の多様なあり方もたくさん出してくれると嬉しい。正直自分はどちらかというと人間ではない存在の方が親しみを持ちやすい。魔物なのでね。
《追記》
中の人のTwitterより引用。
"まあでもここまで書けるのも改善が期待できそうだからであって、Dragon Ageがそれなりにマイノリティを描こうとしてきたからでもある。"
*1:まあそんなに色んなゲームやってないが…。
*2:ラブストーリーを親しみやすいものとして使うのは創作物に限った話ですらなく、自分は英語の学習のためにあれこれやったが、教材が恋愛だらけ、しかも異性愛絡み多すぎで気絶しそうだった。
*3:AロマンティックAセクシャル…恋愛感情も性的感情も抱かないこと。
*4:ロマンティックAセクシャル…恋愛感情はあるが性的感情を抱かないこと。
*5:Aロマンティックセクシャル…恋愛感情は抱かないが性的感情は抱くこと。
*6:ノンバイナリー…女性や男性という二元的な性別におさまらないアイデンティティ。
*7:次作の舞台がテヴィンターになる可能性があるという話もあった気がする。
Dragon Age Inquisition プレイ記録⑩ ロマンス完結編「アイアン・ブル」アトリアさんの視点から
※この記事には重大なネタバレが含まれます。
※台詞はうろ覚えのため、正確ではない可能性があります。
前回はアイアン・ブルの人物像について書いた。クナリについてはまだ分からないことが多いが、情報を集めてみるとその考え方がおおまかにつかめてくる。
アイアン・ブルは一見すると激しい戦闘が好きなだけの単純で豪快なタイプに思える。しかしそう思わせておいて相手の警戒を解き、実は冷静に思考を巡らせながら物事を観察し、相手の心を操り、事細かに情報を探っている…と考えると本当に恐ろしい人物でもある。本人が密偵であると言ってくれなければ誰も気づかないだろう*1。
アイアン・ブルは激しさと冷静さ、残虐さとやさしさ、荒々しさと繊細さなど、相反する要素を多く持ち、怒りを抑制しながら利用することで自らの役割に徹してきた。同胞から遠く離れたところでの生活が長かったとはいえ、キュンが指針となることでバランスが保たれていたとするならば、そのつながりを失ってしまった今、アイアン・ブルの支えは審問会になるのだろうか。あるいは突撃兵の仲間たち、もしくは審問官個人だろうか。少なくとも、大きな目的や役割を失わない限りは安定を保てそうに思える。
Originsのスタンは自らがキュンの要求に反してしまったことに取り乱し、我を忘れて農民たちを殺してしまった。最初にプレイした頃はまったく意味のわからない行動に思えたが、クナリについての知識が多少増えた今なら理解できなくはない。キュンのもとに生まれたクナリにとってキュンは明確で絶対的な指針なのであって、そこから逸脱してしまったと思ったとき、強く掴んでいてくれた手を急に離されたかのように、著しく不安定になったのだろう。安定を取り戻したのは、ブライトに立ち向かうという目的と役割が与えられたからだ。
こういったことはなにもクナリ特有のことではなく、クナリほど強固ではないにせよアンドラステ教徒も信仰が強い支えになっている場合は多い。強力な支えほどそれが揺らいだときのダメージは大きく、目的や役割を失うことはときに不安定さをもたらす。一方で、クナリにせよアンドラステ教徒にせよ、普通に生活している分にはたいして変わらない人々であり、そこまで信仰を意識していないものもかなり多いはずだ。そして、中には教えに疑問を持ったり内心反発しているものも必ずいる。今回の審問官がそうだ。
アトリアさんは反アンドラステ教会の立場だ。反乱には加わっていないが、アトリアさんにとって教会は心の支えなどではなく、自分を抑圧するだけの忌々しい存在に他ならない。あれだけ反乱が燃え上がったところを見ても、教会に対して不満を抱いている魔道士はかなり多かったのだろう。
テヴィンターを除く教会にとって、魔法は使用を制限し厳しく管理すべき危険なものだが、アトリアさんにとってはそうではない。しかしテヴィンターのように魔法が優遇され、魔道士のみが支配階級になることも望んではいない。アトリアさんにとって魔法はただそこにあるもので、自分の身体の機能のひとつにすぎない。もちろん、使い方を知りコントロールすることは必要だが、そのために死ぬまで自由を奪われることに納得などいくはずがない。
ちなみにクナリは魔法を極端におそれ、魔道士を非常に厳格に管理している。その苛烈さはアンドラステ教会の比ではない。Dragon Age 2に登場する、口を縫い合わせられたサレバスの姿はかなり衝撃的なものだった。魔法と感情は密接につながっているが、魔法の力を持つものは感情を自力で制御することができないと見なされている。キュンは滅私を求めているのだ。
アイアン・ブルはというと、悪魔をおそれてはいるが、魔道士自体におそれや憎しみを持っているようには思えない。突撃兵にも魔道士を受け入れており、この時点でやはり他のクナリとは異質な考え方を持っているように思う。ドリアンがアイアン・ブルに「自分もひどい目にあわされるのか?」というようなことを尋ねたとき、「子供のいる家に火をつけたことがあるか?」とブルが応え、ドリアンが「ない」と言うと、ブルは「ちゃんと相手は選ぶ」というようなことを言っていた。余談だが、このときアトリアさんの「前世の記憶*2」が少し疼いたかもしれない。とにかく、ブルは行為に対しては怒りを抱くが、属性のみで判断することはないのだろう。
教会のやり方に反対することと、信仰心を持たないこととはイコールではない。強い信仰を持ちながら現在の教会に反対することは矛盾なくできるし、現在知られている教えや歴史の記述すべてが正しいわけではない、とする立場もある。教会から離反したテンプル騎士も、反乱を起こした魔道士も、信仰自体を失ったわけではない。審問会にも色々な人々が集まっているが、どのような意見を持っているにせよ、アンドラステや創造主への信仰自体を拒絶しているものはそう多くはない。
アトリアさんは信仰そのものを拒絶する。信仰より事実に重きをおくからだ。自分に与えられた理不尽は押し付けられた教えに疑問を抱きやすくし、教会にかかわりの深い家柄であることは反発を招きやすくする。さらに魔法の訓練のあとは研究に没頭するしかやることがない*3となれば、信仰よりは事実を求めたくなるだろう。アトリアさんは「魔法」を特別な存在だとは考えない。また、「役に立つこと」や「崇高な使命」に価値を見出さない。信仰や使命をよりどころにすることとは対極にある生き方と言えるだろう。アトリアさんは自分の意思で自分の行き先を決め、決まった目的を持たず、誰かの役に立つためでもなく、好奇心のおもむくまま生きることで安定するのだ*4。教会ともキュンともずいぶん相性が悪そうだ。
このスタンスで審問官を務めるのはかなりやりづらい。アンドラステの使徒と呼ばれることを否定すると「謙虚」と受け取られることもあるが、そうではない。勝手に信じてもいないものの使徒にされ、事実と異なる物語にされるのはごめんだと言いたいのだ。この苦悩は異教徒である前周のデイリッシュ審問官でも同様だった。
ちなみにアダマントでフェイドに入ったときは「アンドラステに遣わされたと思っていたが…」というロールプレイ完全無視の台詞を言わされてしまい、中の人はかなり悲しかった。
↑アトリアさんはそんなこと言わない。
カサンドラはこちらが魔道士だからか、このような考え方を持っていることに対して「理解はできる」と言ってくれるが、それでも「アンドラステあるいは創造主によって遣わされた存在だ」とは考えているようだ。程度の差はあれアンドラステや創造主を信じるものは大抵そう考えているようで、だからこそ審問会にこうして人が集まってくれたのだろうが、アトリアさんとしては不本意だろう。魔道士だからというだけで自分を不当に縛る信仰が、さらに審問官という役割を勝手に押し付け、自由を奪う。そして皆それを信じ、団結し、それに見合った働きを期待している。それでも目の前の危機に対処できるものが自分しかいない以上、問題をなんとかするために最大限の努力はしているが、かなり居心地は悪いはずだ。
このような負担の中で、信仰抜きに審問官を見てくれる仲間といえば、コール、ソラス、アイアン・ブルくらいだろうか。ヴァリックもこちらを使徒でなく人間として見ようとはしてくれているが、なんだかんだ実は信仰を持っているようだ。ソラスは別の意味で完全に心を許すのが難しいところがある。コール*5は信頼できるが心を通わすには異質な存在だ。モリガンの考え方はアトリアさんと共通するところがやや多いように思うが、Inquisitionにおいては親しくなれるような間柄ではなかった。
となると、完全に信仰抜きで心を許せるのは結局アイアン・ブルしかいなかったのではないか。傾向は正反対というほどに違うのだが、教会とはまったく違うバックボーンを持ち、なおかつキュンからも離れざるを得なかったブルは、勝手に信仰に絡めとられて疲れぎみの背教者にとって、ある意味もっとも親しみやすい存在かもしれない。なおかつブルの方も審問官の重圧を和らげようとしてくれるため、まさに求めているものを与えてくれる存在でもある。
↑セーフワードは自分たちで話し合って決めるものだったらしい。いいことだ。その他のルールについて真面目に話し合う場面があってもよかった。
完全に消去法でロマンスの相手としてアイアン・ブルを選んだが、結果的にセクシャリティにおいても境遇においても、精神的なよりどころとしても、本当に唯一無二の相手だったかもしれない。肉体関係とはまた別のところでまさにデミロマンティックな関係を築くことができた気がする。また、説明のタイミングこそ気になったが、ルールのあるシステマティックな性的関係もかなりよかったと思う。
中の人としてはカサンドラのこともやっぱり諦めきれないところはあったが、性別抜きにしても今回の主人公はカサンドラと深い仲にはなれなかっただろう。セラとも厳しかったかもしれない。結局アイアン・ブルを選んで本当によかった。間違いなく今回最良の選択だった。
…というわけでロマンスについてはこれまで。ちょっと長々書きすぎたような気がする。果たしてプレイ記録は最後まで続くのか。ちなみに中の人は記事を書きすぎて最近ゲームをしていない。
*1:我らがスパイマスターレリアナといい勝負できそうだが、ブルがどこか非情になりきれなさを持ってるのに対し、レリアナは慈愛か冷徹かに振り切れてしまう極端さがずば抜けている。まあ突撃兵を見捨てた場合はブルも審問官よりキュンを選ぶわけだが、クナリは本来それがデフォルトである。…何の勝負だ。
*2:例によってTES4でのことだが、デイドラの秘宝を得るためにとある人物を殺害せねばならず、暗殺が苦手だったアトリアさんはわざとモンスターに追われて村に突っ込み、モンスターに襲わせてターゲットを殺害した。結果村のほとんどの住民が巻き添えになって死んだ。さすがのアトリアさんもあのときは少ない良心が痛み、それ以降なるべく犠牲者を出さない冒険を心がけたのであった。
*3:ヴィヴィエンヌのようなあり方はまれなはずだ。
*4:この作品に召喚するべき主人公ではなかった気がする。
*5:今回は精霊に近くなっている。アトリアさんは人間に近いことがそれほどいいことだとは考えていない。