無真獣の巣穴

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Dragon Age Inquisition プレイ記録・番外編

※ゲームのプレイに関連するのでプレイ記録のタイトルにしましたが、今回はちょっとそこから外れた話です。
※この記事にはDragon Age Inquisition、Originsのキャラクターについてのネタバレが含まれます。

 


Dragon Age Inquisitionのロマンスについて書いてきたが、実はこの恋愛というものの描き方について、だいぶ前から思っていることがある。

この作品に限ったことではなく、ゲーム以外の大抵の作品にも言えることなのだが、恋愛関係を深い人間関係の頂点に置きすぎなのではないか、ということだ。また、恋愛感情が「人間らしさ」の表現として描かれていることがかなり多い。とにかく崇高で美しく人間らしい深いつながりをもった1対1の関係、それが恋愛関係だ、というメッセージが世界中にあふれているように感じる。

 


自分自身は恋愛感情というものをこれまでの人生で抱いたことがない。また性的指向もよくわからない。少なくともゲームプレイ上での指向はある程度存在するのだが、現実に生身の人間に対して指向が存在するかがわからない。

人生のパートナーと恋愛指向と性的指向がつながっている必要はあるのだろうか?恋愛や性的関係を持つ相手が常に1人でなければいけない理由はあるのだろうか?特定の誰かと精神的に深くつながりを持った関係は恋愛関係でなければならないのだろうか?疑問は尽きない。

自分にとって、恋愛が「もっとも深い人間関係」「幸せの象徴」であるかのような描写や、恋愛感情を抱くことが「人間らしさ」の表れとして描かれることは、あまり心地のよいことではない。そうした表現が悪いというわけではなく、自分自身それを楽しむことがまったくないわけではないのだが、そうでないものが少なすぎるといつも思っている。恋愛ではない深いつながりもあるだろうし、恋愛をしなくても十分に幸せになれるはずだし、恋愛は人間らしさの象徴でも至高の人間関係でもないはずだ。

 


Inquisitionにコールというキャラクターがいる。コールは人間の形をとった精霊…といったところだろうか。コールの個人クエストでは精霊として安定させるか、より人間に近い存在として安定させるかを選択することになる。どちらかが正解というわけではない。コールは基本的にロマンスできないキャラクターだが、人間に近づけさせる選択をした場合、DLCで恋人ができている様子を見ることができる。人間として安定し、幸せそうな、ちょっとした描写ではある。しかし自分としては、また「人間らしさ」のために恋愛を使われてしまったか…!という思いが少なからずあった。

 


恋愛とはまた別の話だが、Originsにはシェイルというゴーレムのキャラクターがいる。シェイルはゴーレムゆえに自身の性別をあまり意識していないように思える。後のクエストでゴーレムになる以前のことが判明するのだが、そこで性別について問うと「それを言う必要があるとは思わなかった。お前だって自分の性別を私に言っていない」という一言がもらえる。この発言は「性別は自明のものである」ということに疑問を投げかけるいい台詞だと自分は感じていて、すごく好きなのだが、ここでもやはり現在「ゴーレム」であって「人間ではない」からこそ、な感じがするのは否めない。

 


今回のプレイ記録でロマンスについて書いたアイアン・ブルも「愛のために性行為をしない」「ごくまれにしか個人と深い関係にはならない」キャラクターだが、そういうセクシャリティを持っているというよりは、やはりクナリという「異文化」によるところが大きい。

ついでに言うと性行為がシステム化されている描写も、異文化と、暴力や支配を模した関係であったことによるのだと思うが、正直意識されないだけですべての性的関係に暴力性が存在していると思うので、どんな関係にもルールや話し合いが必要なのではないかと思う。ただそれをゲームの恋愛関係で明確に描いているのはかなり珍しい気がする*1

 


こうした表現に共通するのは、イレギュラーなものを「我々とはどこか違う特殊な存在」として描いていることだ。そして「我々に近い存在」になると恋愛を描いてしまう*2。前述の通り、こうした描き方はこの作品に限った話ではなく、あらゆる創作物でこの傾向は見られる。

もちろん、人間とは違った存在のあり方や異種族の文化が描かれているのは面白いし、自分も好きだ。しかしAロマンティックAセクシャル*3もロマンティックAセクシャル*4もAロマンティックセクシャル*5も、ノンバイナリー*6も、現実に常に我々の中にいるはずなのだ。そしてもちろん、人間だ。それがたまに物語の中で描かれるとき、なぜかいつも人間ではなかったり特殊な育ちや文化によるものだったり、あるいは悲しい過去やトラウマによるものと理由づけられてしまいがちになる。実際多くの人がそのような存在が自分のすぐ隣にいるとは考えていないからこそ「こちら側」の身近な存在として描いてくれる物語がもっとあっていいはずだと思う。

Dragon Age Inquisitionにおいては同性愛者やトランスジェンダー男性が身近な存在として描かれていた。ただドリアンもクレムもテヴィンターという「あちら側」から来た人物であるところに引っかかりを覚えないわけでもなかった。もちろんセダスの大半の地域ではそれらがそこまで問題視されておらず、テヴィンターだからこそ彼らは生きづらいのだが、それもまた生きづらさの問題を「あちら側」の問題に終始させてしまう危うさをちょっと感じないでもない。Inquisitionでテヴィンターがただの悪の帝国でないことに焦点が当てられた点は本当によかったと思う*7。自分たちの社会の同種の問題は棚上げし、「悪」としている異文化社会の問題としてだけ取り上げるということが現実には非常に多いため、物語においてもそうした描き方はやはり危うさがあると思う。

 


とりあえず本当に描き方には前進を感じているし、前も書いたが、多様な存在を描くことについて、次はさらにもう一歩進んでくれているといいなと思う。文化や種族の設定にあまり頼ることなく明確にAセクシャルやAロマンティックなキャラクターを描いてほしいし、恋愛ではない「特別」なルートがあってもいいと思う。合意に基づいたポリアモリーな関係も実現できればロールプレイの精度が上がる。それにノンバイナリーなキャラクターもお願いしたい。中の人はノンバイナリーでもあるのだ。はっきり言って自分に似ていると思える人物を物語で見る機会が少なすぎる。

 

ちなみにトランス男性のクレムにはいろいろ質問することが可能だが、審問官側の選択肢がミスジェンダリング*8だらけで申し訳なく、ほとんど何も聞かずに終わった。前回のプレイの記憶によればクレムは親切にあれこれ教えてくれるが、もう少しましな選択肢が欲しかったし、失礼な質問をしたら怒られることも必要な気がする。ちょっと気分を害したような受け答えがあった気もするが。

ドリアンは親子関係が改善する方向で進めていたのだが、途中で思い直した。「自分の子供の性的指向をむりやり矯正しようとした親と、和解する必要が果たしてあるのか?」と。父親は自分の行為について考え直していた様子ではあったのだが、いくら反省し、どう頑張ったとしても、修復できない関係はあるのだ。どれだけ恐ろしい行為だったか、親は知るべきだろう。親子関係がよくなる方が物語としては美しいかもしれないが、普通に考えたら親の言い分も聞くべきだなどとはとても言えない。というわけで今回は親子関係は壊れたままだ。そんな物語があったっていいだろう。

 

 


まあ、いろいろ書いたが、それはそれとして様々な地域の考え方や文化、人間以外の種族の多様なあり方もたくさん出してくれると嬉しい。正直自分はどちらかというと人間ではない存在の方が親しみを持ちやすい。魔物なのでね。

 

 

《追記》

中の人のTwitterより引用。

"まあでもここまで書けるのも改善が期待できそうだからであって、Dragon Ageがそれなりにマイノリティを描こうとしてきたからでもある。"

 

 

 

*1:まあそんなに色んなゲームやってないが…。

*2:ラブストーリーを親しみやすいものとして使うのは創作物に限った話ですらなく、自分は英語の学習のためにあれこれやったが、教材が恋愛だらけ、しかも異性愛絡み多すぎで気絶しそうだった。

*3:AロマンティックAセクシャル…恋愛感情も性的感情も抱かないこと。

*4:ロマンティックAセクシャル…恋愛感情はあるが性的感情を抱かないこと。

*5:Aロマンティックセクシャル…恋愛感情は抱かないが性的感情は抱くこと。

*6:ノンバイナリー…女性や男性という二元的な性別におさまらないアイデンティティ

*7:次作の舞台がテヴィンターになる可能性があるという話もあった気がする。

*8:ミスジェンダリング…本人の性別アイデンティティとは異なる扱いをすること。差別。