無真獣の巣穴

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熱き変革の魂!バーフバリネタバレレビュー!

 ここ最近、よく映画(映画館ではなく、自宅で)を観たり本を読んだりするようになりました。と言ってもどちらも月1作品くらいのペースですが、自分としては凄いことです。実は長時間集中力を維持するのが難しいタイプでして。
ちなみに、映画や書籍よりよっぽど集中力を要しそうですが、ゲームはまったく問題ないです。むしろ集中し過ぎるくらい。基本的に自分で操作してるからですかね。能動的に色々やらないと進んでくれないし。

 

というわけで、ついに「バーフバリ」を観たのですよ。巷で噂の「バーフバリ 伝説誕生」「バーフバリ 王の凱旋」を!

大胆で大袈裟な演出と気持ち昂ぶる歌の数々。素晴らしいですね!そして凄く、観やすい。これくらい派手にやってくれると、ポンコツな自分でも集中力の維持ができる。有り難い…。雰囲気や題材が非常に好みだし、大味なようで深みのある物語、悪役も含めた登場人物たち、非常に魅力にあふれてますね。以下、大幅にネタバレ含むので注意です。

 

正直、伝説誕生を観た時点ではそこまで乗り切れない感じだったんですよ。全体的には凄く好みだし、シヴドゥがシヴァリンガを持ち上げる場面とか、滝登りとか、在りし日のバーフバリが布を使って敵を殲滅する場面とか、結構好きなんですけど。

なんというか乗り切れない一番の理由はあれです、シヴドゥのアヴァンティカに対する悪戯が見てらんなかった。身体に落書きするの、1度のみならず2度やるし。
アヴァンティカの服をくるくる脱がして化粧をほどこす演出も面白いといえば面白いけど、お前はアヴァンティカをバカにしてんのか?という思いがどうしても拭えなかった。

まあ、シヴドゥはこの時点ではまだちょっと…アホなのですが。それにしてもアヴァンティカは重要な作戦を任せられるほどの戦士なのに、翻弄されるばかりで自分にとっては見ててキツい演出でしたね。

まあ、アヴァンティカは自分自身の姿を気に入っていない様子などが描かれていたし、クンタラの生き残りとして戦わねばならなかったのであって、戦士というのは真に望んだ姿ではなかったのかもしれない。王の凱旋で描かれていたような、王族であり、自ら望んで武術を学ぶデーヴァセーナとはそこらへん全然違うわけですよね(デーヴァセーナにも民を守らねばという使命感があったと思いますが)。
なので、きらびやかさへの憧れみたいなものがあって、わずかでもそれを見せてくれたシヴドゥと恋に落ちるという展開自体は分からんでもない…というかすべてにおいて超展開するので、突っ込みようなどないんですけどね。ただ描写としてアヴァンティカにもうちょい敬意を払ってほしかった。

それにアヴァンティカの勇姿をもっと見たかったんですよ、自分は。せっかく魅力的なキャラクターだったので。派手なアクションシーンが初登場時くらいなのは本当に惜しい。

 

そんな感じで面白かったけど何か納得しきれないまま伝説誕生を見終えて、後日王の凱旋を観たのですが、これが…素晴らしいんですよ!
この作品はとにかく終始バーフバリが半端ない!!ということに尽きるんですけど、王の凱旋を観て、この作品には "変革" してゆくことに対してとてつもなく熱い思いが注がれているなと感じました。

それと2作をまたいでほとんど過去の話ってたぶん結構変わった構成だと思うんですけど、それでいて、まずおおまかに表面的なことを見せてそれからだんだん掘り下げていき、大きな流れへと向かっていくという、物語の基本的なところがすごくきれいだなあというか。

しかし印象深いのは痴漢の首が切り落とされていることでしょうかね。前作のシヴドゥの行動は結果オーライとはいえ痴漢みたいなもんだと思うんですけど…これって過去の父にぶった切られているようなものでは。
自分が何者であるか分からなかったシヴドゥは、過去を知ることで初めて "バーフバリ" となり、そして国を変えていくことになるわけですが、過去の物語そのものがシヴドゥの変化の過程であるとも言えるんじゃないでしょうか。


それにしても王の凱旋、権力者に対して直接異を唱える場面が多いです。デーヴァセーナの切り込み方は特に凄まじい。細かいところを見ればバラーラデーヴァに "お言葉ですが…" と意見する臣下がいたりする。しかしシヴァガミがはねのけちゃうんですね。常に正しいはずだったシヴァガミの過ち、栄華を誇る圧倒的大国と権力の迷走、腐敗、それに異を唱え、正す!そういう表現が物凄く力強い。前作からは想像できなかったほどの鋭さを持って切り込んでいく。しかし前作がなければこれほどの鋭さを発揮できなかったのではとも思うんですよね。やはり伝説誕生あっての王の凱旋。

デーヴァセーナの存在は本当に大きい。「バーフバリ」の魅力の半分以上がデーヴァセーナにありますね…個人的には。民を守り、強いものには立ち向かう。清々しいほど、デーヴァセーナは一歩も引かない!
強く誇り高く、これでもかってくらい煽っていく若き日のデーヴァセーナも大変素晴らしいのですが、囚われ虐げられ、復讐の権化となったデーヴァセーナも好きです。こちらは前作にも登場してますが、積年の恨みを感じさせますね…。
生首を手にバラーラデーヴァの前に再び現れたときの姿、圧巻です。そしてその後ろには、死んだはずのバーフバリと瓜二つの男!首はバラーラデーヴァの息子のもの。うん、怖いですね。バラーラデーヴァにとっては悪夢的な光景です。

白鳥の船に乗って旅立つ場面のデーヴァセーナも本当好きですね。というか、あの曲一番好きなんですよ。歌の中で自分の名前を名乗るのもなんか最高ですね。「私はデーヴァセーナ」。揺るがぬ信念を持った人物ですが、見せる顔は非常に多面的です。


ところで、実は自分が一番興味をそそられたキャラクター、バラーラデーヴァだったりします。物語は悪魔祓いを表していて、彼がその悪魔にあたるわけですが、純粋な悪…と呼ぶにはちょっと複雑な要素が多いような。
才に恵まれながらもバーフバリの前にはかすんでしまう。どうにもならない歪んだ感情、劣等感の塊ですね。真に愛情を持って情けをかけてくれそうな人物(アマレンドラやシヴァガミ)を葬り、よりにもよって25年も虐げ生き晒しにしたデーヴァセーナに命乞いをするあたり、なかなか哀しい奴です。
ブルーレイに収録されていたメイキングで人物像が語られていましたが、それも面白かったです。個人的には若い頃より白髪混ざりバラーラデーヴァが好きですね!あと、本気出すときわざわざ脱ぐのいいですね。憎い奴の殺し方にもこだわりを感じます。


あとクマラも本当いいキャラだった…哀しいけど。あんな状況の中で、気の弱さを抱えながらあそこまでやったの、ある意味最も勇気ある人物だった気がします。それに素直なんですよねえ。それが命取りになるんですけど…。アマレンドラが追放されてからも一緒に民の中にいるところがまたよいですね。
アマレンドラとデーヴァセーナ、そこにクマラもいて、民の中で共に働き、歌い、生きる。追放されてからのあのひとときが好きです。ずっとあのままだったらよかったのに、と思ってしまう。…あのパーティでそのまま冒険に出ればいいのに!あ、妊娠中は難しいか。

 

さて、この作品、主人公はバーフバリであり、バーフバリを称える物語であることに間違いはないでしょうが、物語を引っ張っているのは誰か?というと、カッタッパなんじゃないでしょうか。
過去編の語り手はカッタッパですから、この作品で描かれるのは彼が知る彼の視点でのバーフバリです。彼がシヴドゥを導き、バーフバリへと "変革" させ、敵を打ち倒し、国を "変革" する。カッタッパがシヴドゥを導かなければ、新たな時代のバーフバリはバーフバリとして現れないのです。シヴドゥは最初から大きな力を備えていますが、それだけでは足りない。カッタッパが新たなるバーフバリを作り上げたと言っても過言ではないでしょう。
「バーフバリ」は偉大なる王の物語であると同時に、重い罪を背負うことになった奴隷の、贖罪と変革の物語…と、解釈しています。
カッタッパも非常に熱いキャラクターですよね。常に忠誠を尽くしてきた彼が、シヴァガミの手に血を塗り、あなたの過ちだと言い放つ場面は震えるほど強烈でした。王家の奴隷ではありますが、隷属しているわけではない。王だけでなく、自分はカッタッパも称えたいですね。

 

「バーフバリ」はアクションも演出も物凄く派手で、常に主人公側に追い風が吹いているような都合のよさで展開していきますが、人間ドラマとしては非常に複雑で、繊細な印象でした。ベタな設定と物語でありながら、圧倒的に面白く、丁寧で、信念がある。

それと、この記事では触れませんでしたが、インドの神話の要素をかなり含んでいるみたいですね。知識がないので詳しく読み取れないですが、このへんはあれを表してるのかな?と思える場面が複数ありました。多分、無数にありますよね、これ。とりあえず有名どころの「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」を電子書籍で購入してみましたが、読んだら「バーフバリ」の見え方も変わるかもしれないですね!

 

 

(ちなみに、アヴァンティカがもっと観たかった…という思いは成仏していません)

 

 

 

 

 

 

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