無真獣の巣穴

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屈折した心、内側と外側、外見至上主義 「思い出のマーニー」感想文

テレビで思い出のマーニー放送していて、なかなかによい作品だったのであれこれ思ったことでも書こうかなあと思います。原作は読んでいないので、比較は出来ないです。ネタバレあります。


屈折した思春期

まず、主人公アンナのひねくれ具合ですね。これが、大変よかった。屈折した繊細な心理がよく描けてると思います。アンナはもらい子であるとはいえ、優しい養母のもとで暮らし、誰かにひどいことをされたことはないと言っているところを見ると、いじめられているということもないようです。ただ、人付き合いがうまくなく、孤立しがちで、他人を信用しきれない疑り深い性格であることがうかがえます。
作中の本人の言動や同級生の反応から察するに、基本的にはおとなしいけれども、その疑り深さから、他人からの好意を突っぱねるようなことが結構あったんではないでしょうか。作中でやらかしたように、時に毒づくこともあったかもしれません。
アンナはいつも何かに不満を抱えているようです。自分の絵を見てもらいたかったのに、トラブルが起きて見てもらえなかったとか、そんな些細なことさえストレスになっている様子。養母はいつも優しいのに、補助金を貰っていることを気にかけ、その愛情を疑っています。


正直、見ている側としては、アンナが気にかけていることはとても些細なことに思えます。でも、本人にとってはそうではない。積み重なった小さな疑いが渦巻き、表面的にはおとなしく礼儀正しく振る舞い、他人とうまくやっていくことが出来ない、いつも何かに不満、そんな自分が嫌い!屈折した心ですね、とてもよいです。結構、リアルだと思うんですよ。特に経験値が圧倒的に足りない時期は、こういう闇に陥りやすいのです。暗くて、繊細で、浅はかで、未熟。こういうの好きです。


"ふとっちょ豚" 事件

アンナ、突然の暴言。深く心に残る場面ですね。ええ。まあ、よく知りもしない人たちの中に半ば強制的に放り込まれてるわけですから、特にアンナのような性質の人間にとってこの手のおせっかいはかなりの負担であったと思います。
ノブコはノブコで、意地悪だったわけではないのですが、作中でも強調されている内輪の力というか、そういうのが強い人物だったわけですね。距離を詰めてくるタイプというか。まあ、社交的な相手であれば、有効なコミュニケーション手段であるとは言えますし、こういうアプローチがうまく働くこともあるので、嫌な奴とまでは言えません。


とはいえ、願い事を勝手に見てしまうのは初対面でやることではないですし、相手の身体的特徴について言及するのも、たとえ褒め言葉であっても地雷を踏みに行くような行為です。アンナが不快に思うのも無理はない、そもそも強制参加イベントでしたしね。
そしてストレスが限界を超えたアンナは、ノブコに対して「いい加減にしろこのふとっちょ豚!」とか言ってしまうわけですね。しかし、ここでノブコはあからさまに怒ったりはしません。少々やり返しましたが、それでおあいこということで、関係を修復しようとする懐の深さを発揮します。なかなかのやり手であります。アンナが何故怒ってしまったのか説明することが出来れば理解を示してくれそうだし、和解イベントに発展したかもしれません。が、アンナは逃げ出してしまいます。

 

アンナの立場で考えてみると、知らない "内輪" の中に放り込まれ、触れて欲しくない領域に踏み込まれ、結果暴言に繋がってしまうのですが、ノブコの立場で考えてみるとどうでしょうか。友達同士で行くはずだったお祭りに、知らない "外側" の人間を放り込まれ、楽しくやることを要求されています。外側から内側へ引き込むべく努力したのだと思われますが、内輪のノリが強過ぎて失敗してしまいますし、皆の前で外見について酷いことを言われ、修復も成功せず泣いて帰っています。
ノブコが自発的にアンナを引き込もうとしたわけではないですし、しっかり者のお姉さんとして新入りを任せられたのであり、責任感もあったでしょう。ノブコのミッションは結構難しいものだったと思うのですよ。これではどちらにとっても不幸なことです。まあ、こういうことは得意、自分は面倒見がいい方だという自負があったのかもしれませんが。この失敗を糧にして、双方の成長を願います。


ただ、大人の方に配慮が足らんのではないかという点が気にはなりました。たとえば暴言を吐いてしまったアンナに対して、大岩のおじさん・おばさんの反応はというと、「ふとっちょ豚はよくなかったな~アハハ!」というものであり、これはこれでノブコをバカにしているような気がします。中学生にとっては結構なダメージですから(実際しっかり者であるはずのノブコが泣いて帰っています)、そんなフォローでいいのか、諭さなくていいのか、というもやもやが残ります。まあ、全体的にしっかりした大人が出てこない作品ではありますね。いい人っぽい感じでも、皆それぞれに至らない人たちというか。


アンナの外見至上主義

このように屈折した心を持ち、好意を信じることが出来ず、自分の領域に踏み込まれることを嫌うアンナですが、しめっち屋敷の神秘的な美少女、マーニーにはあっさり心を開いてしまいます。アンナとマーニーは実際には初対面ではないですし、最初から強い結びつきがあるわけで、突然打ち解ける展開も理解は出来ます。しかし、それにしても突然心開き過ぎだろうという思いが拭えません。ノブコが踏み込んでくるのは我慢ならない一方で、マーニーが踏み込んでくるのは歓迎しています(状況にもアプローチにも差がありますが)。


アンナが相手の外見についてどう思っているかは、作中で度々描かれています。養母に対しては「うるさいヤギみたい」、寡黙なトイチさんに対して「クマ、いやトドかな」、ノブコには実際に「ふとっちょ豚」と発言しています。まあ、頭で思うだけならこの程度は誰でも覚えがあるとは思うのですが、わざわざ何度も描写されるところを見ると、アンナには "外見至上主義" があるのだろうなあと思われます。これを踏まえて、ノブコとのあの酷いやりとりの直後に美少女マーニーにあっさり心を開いている様子を見ていると、結局見た目ということがひしひしと感じられます。残酷ですね。

 

ノブコがもしマーニーレベルの美少女だったら…例のお祭りでの事件は起きたのでしょうか。魅力的な外見の相手が踏み込んできた場合、ころっと受け入れそうな素質がある気がします、アンナには。最終的にアンナはノブコに謝罪し、ノブコは遠まわしに来年も来いと言ってるわけですが、それが「ゴミ拾いに参加」であるところを見ると、やっぱり合わないような気がしますけどね。まあ外見以前に、内と外を意識させる状況でなければ、一対一で偶然出会っていたら違ったのかもしれません。


内側と外側

アンナは自分のことを外側の存在だと思っています。どこへ行っても打ち解けることがなく、家庭の中でさえ孤独を感じていました。一方でマーニーやサヤカに対しては、"秘密の関係" を持とうとします。自分と同じようにしめっち屋敷に興味を持つ人間に対しては、非常に好意的に接しているように見えます。マーニーと親密なコミュニケーションを重ねた結果の変化であるともとれますが、同好の士を作る性質なのだなと感じました。ごく狭い "内側" の人であるとも言えます。アンナが思っている内側の人々より、ずっと強力に内側志向なのではないでしょうか。

 

ところで、アンナのマーニーに対しての言動がとても面白いです。これまでの行動からは想像もつかないような、甘い言葉が次々に飛び出します。まるで物語の中にいるような。まさに、物語の中にいるようなものなのですが。なんだか分からないけどとにかく好意を持ってくれて、全力で受け入れてくれるマーニーだからこそでしょうか。本来の関係性を考えれば、無条件に受け入れてくれるのも当たり前なんですけどね。それにしても選ぶ言葉が甘すぎて、本当に面白い。劇中劇のようです。ロマンティストなんですかね。サヤカと趣味が合うようですし。

こういったマーニーとのやりとりの影響か、終盤あたりにはコミュニケーションのとり方が随分自然なものになっています。マーニーを追いかける途中でサヤカに声をかけられる場面、序盤のアンナであれば無視して走っていきそうなものですが、「あとで!」とちゃんと返事をしています。細かいことですが、しっかりコミュニケーションできるようになっていることに結構感心しました。


アンナの "内側" は、家族や同好の士という狭い範囲のままで終わりますが、今後その境界線が、もう少し自然なものになっていくのかもしれないですね。まあ、社交的になるということではなく、突然逃げないとか、毒を吐かないとか、普通に会話するというレベルの話ですよ。自分は不幸だ、から一転して自分はとても幸せです!みたいになっているので、なんとなく不安のある終わり方だったように思いますが。極端なタイプですよね。自分が突っぱねてきた好意について、自分の対応など、そういったことに向き合う日も来るのでしょうか。


作品全体に感じる外見至上主義と "悪役" の描き方

あややねえやなど、ただ意地悪なだけの存在が気になります。主要人物たちが繊細に描かれる一方で、ただ意地悪な存在が描かれるのは、バランスが悪いなと感じます。まあ、意地悪なだけの存在がいても別にいいのですが、これほど複雑な心理が描かれているのに、そこだけちょっと単純化しすぎな上、コミカル?なデフォルメが少し妙な感じがします。
アンナ視点で映像化していると考えると、しっくりはくるのですがね。アンナは話を聞いただけなので、マーニーをいじめる人、という単純なイメージしかないわけです。マーニーが美少女なのも、アンナ視点で美化されていると考えることもできます。

 

ただ、アリエッティのときもこういう違和感があったので、この監督の癖みたいなものだとすると、ちょっといただけないかなあと。主要人物は美しく、悪役は醜く、という描き方はよくあることなのですが、程度と物語の性質によっては浮きますね。あまりこういうデフォルメは作品に似合わない気がします。気のせいか太っている人の描き方にもなんとなく悪意を感じますし。作品全体的にも外見至上主義的かな、と感じるところはあります。主人公視点による補正効果であれば、そういう表現だよ、という何かが欲しいところですかね。


まとめ

まあ気になるところも多いのですが、全体的にはかなり好きです。しっとりとした優しい雰囲気とは裏腹に、結構ひねくれ具合がえぐいというか、生々しいあたりはかなり気に入っています。小さいことで悩んだり、疑ったり、物語として決して大きくはないことで苦しむ未熟さがとても好きです。不自然なほどに愛を囁き始めたり、許せない!などと安易に燃えるその未熟さがいとおしいのです。心を開き始めたとはいえ、正直危うさしか感じない心の変化も不気味な後味を残しており、いいですね。アリエッティもそうですが、やや唐突だな!という台詞回しがあり、不自然なのですが、その不自然さが割と好きだったりします。